遅刻をする子
いつも遅刻をしてくる生徒がいます。ほとんど毎回です。理由を聞いてもはっきり答えませんが、掃除や委員会といった理由ではないようです。なぜなら、そのようなときは明確に答えるからです。
私は遅刻をするのも、されるのも嫌いです。遅刻というのは約束した時間を守らなかったということですので、約束の反故となります。人と人の信頼関係は互いに約束を守ることが最低の条件の一つです。約束を守らない人は他人から信用されなくなります。大人社会だけではなく、子どもの社会においてもすでにそれは必要条件となっています。したがって、子どもの社会性を養ううえでは、早い時期に確立しておきたい習慣です。
遅刻を続けるということの一つには、遅刻を悪いことだと思っていないのかもしれません。子どもの価値観は成長早期において、主に家庭で植え付けられます。家庭では親の価値観が奨励され、子どもはそれを学習します。そうであれば、その子の親は遅刻について、あまり重要視していない可能性があります。
いずれにしろ、その子は簡単に遅刻をするという”行動パターン”を身につけてしまっているのです。
しかし、遅刻をするからといって、その子はダメな人間、価値のない人間ということにはなりません。すべての人間は肯定的な価値(よいところ)を持って生まれてきます。そして、その価値はなくなったりはしないと言われます。価値のない人間ではなく、ある時期に遅刻という行動習慣を身につけただけです。
問題となるのは、遅刻をすることで人に迷惑をかけることにより、他人ばかりではなく、自分自身にも適切な状況を築けなくなることと、自分自身の内部で後悔をし、自分の行動の可能性を削減してしまうことです。その気づきを得ることができれば、親から押し付けられた役に立たない価値観を払しょくすることができるでしょう。