人と接する、自分と接する
「どうしてお母さんのいうことが分からないの!」
子どもが困っているとき、迷っているとき、判断をまちがえてしまいそうなとき、親としてアドバイスをしたいと思いますが、子どもはそれをうまく受け取ってくれないことがあります。いうことを聞かないわが子にイライラして、言葉もきつくなっていきます。
「あんたのためを思っていってるんだよ!」
そう、子どもがうまく乗り越えられるようにと、そのためのアドバイスをしているのです。しかし、それは”子どものため”と完全にいいきれるでしょうか?
”子どものため”とは、今のネガティブな状況から抜け出し、”よい方向”への進み方を示すことだけでしょうか。それは大事で、必要なことです。ただ、その前にそのアドバイスがその子にとって適切かどうか、その子がそのアドバイスを受け取れる状態にあるかを考えなければなりません。そうしないと、せっかくのアドバイスが無駄になってしまいます。
たとえば勉強をぜんぜんしない子に対して、一生懸命勉強の大切さを説いてるとします。成績が落ちると思い通りの進学が難しくなり、大人になっても夢見ていた仕事に就けなくなるかもしれないと、お母さん自身の経験に基づいて熱く語ります。子どもには自分と同じ思いはさせたくない、自分よりもっと楽しく人生を生きてほしいと願うゆえのことです。
しかし、子どもがそのアドバイスを理解できない、実行しないのには何か理由があるはずです。その理由が分からないうちに、”こうすべき”という方向性を示しても、それは必ずしも適切な”解”ではない可能性があります。そんなときに無理にアドバイスをし続けることは、子どもが親への信頼を失うことにつながります。
このように、たとえ血のつながった親子であっても、自分の気持ちがうまく伝わらないことは少なくなく、そのようなときはたいてい「相手が悪い」と考えてしまいます。しかし、相手が悪いからといって、相手の行動を変えることはそう簡単なことではありません。時間もかかります。差し迫ったピンチを乗り越えるには、そんな悠長なことはいってられません。
相手が受け止め方を変えようとしたり、変わるのを待っていたりするよりも、相手との接し方を変えたほうが早いとは思いませんか?コミュニケーションのしかたを変えるのです。
一方で、自分自身においても、こうしようと思ったことがなかなか実現できないということがありますが、これは内なる自分自身とのコミュニケーションがうまくいっていないことに原因があるのです。
よくある例としては、何回となくダイエットに挑戦してきたけども、思ったようにやせることができず、つい食べ過ぎてしまい、後悔をするというものです。やせたいと願う自分がいるのと同時に、おいしいものをたくさん食べたいと思っている内なる自分がいて、2人のコミュニケーションがうまくとれていないのです。もう1人の自分の声を聞いて、彼または彼女の言い分を理解してあげる必要があります。
人と接する。自分と接する。どのようにそうするかによって、コミュニケーションの満足感はまったく違うものになるのです。コミュニケーションで一番大事なことは、相手の心を開くことです。そして相手の心を感じることです。それは内なる自分自身にとっても同じ。そこからはじめてコミュニケーションが始まるのです。