いいからこっちに来て見てください。
「先生、ここなんですが…」
「どうしたの?」
「ここが分からないです。」
「ここというのはどういうこと?」
「いいからこっちに来て見てください。」
「きちんと言葉で説明しなさい。」
教室でときどき起こる会話です。生徒は分からない箇所があったとき、私に質問してきます。
日頃から、生徒には質問のしかたについて伝えています。「分からないからといって、すぐに聞かない。まずは自分でじっくり考えること。そして、自分で調べるてみること。それでも分からないときは質問しなさい。」
安易に解き方や答えを求めるのではなく、自分でできる限りの努力をすることを最初に学ばなければならないのです。それは必ずや将来において役に立ちます。
冒頭の会話の生徒はある程度自分で考えてから質問しようとしたようです。しかし、どのように質問していいのか、うまく言えませんでした。その子はいつも、分からない箇所を直接見せようとします。質問の対象が練習問題であった場合、私は答えを言わず、考え方のポイントを説明します。ところが、説明をしている最中に視点が他の方向へ向いたり、それとはちょっとずれた話を始めたりします。特に障害があるわけではありません。できるときは、ものすごいパフォーマンスを発揮します。では、どうしてコミュニケーションがうまくかみ合わないのでしょう?
人には”利き感覚”というものがあります。利き手と同じように、得意とする感覚があるのです。「耳がいい」とか「鼻がいい」などと言われることがありますよね。視覚については、単に目がいいというだけではなく、目で見た感覚やイメージが先行する傾向にあります。自分で見たり、相手に見せたりすることが好きです。また、聴覚を得意とする人は、耳がいいということではなく、言葉できちんと表現することを重要視します。論理的に考えるのが好きです。
先ほどの子は視覚が優先しているようです。他の感覚が劣っているわけではなく、視覚が最も得意なので、無意識にそれをベースとしたコミュニケーションを取るだけなのです。
違う感覚が得意な人同士のコミュニケーションでは、なかなかうまく伝わらずに、お互いにイライラすることもあります。相手の得意な感覚を知ることができ、それにうまく乗ってあげることができれば、会話だけではなく、人間関係も良い方向へ向かうことができるでしょう。
さて、冒頭の会話において、私は聴覚優位の立場を取っています。その子の得意な視覚ベースのやり取りをすれば、もっとスムーズに解決が図れたはずです。でもそれをあえてしませんでした。これから大人への道を歩いていくその子に対して、論理的な思考力を身につけてもらうことも大切だと思っているからです。
いろんなところに学びのチャンスがあります。勉強中にも、別の勉強のチャンスがあるのです。