Blog

ブログ

互いに依存しあう関係

「この問題を解いてごらん」私がある生徒に言います。
その子は固まってしまったかのように、ただ黙っています。
私はしばらく待ちます。
すると、最初は問題に落としていた視線を、顔をあげて別のものに移し始めます。沈黙は続いています。
しびれを切らした私は、「前にもやった問題だけど忘れてしまったみたいだね。いいかい、この問題は…」と言いながら解き方を紙に書き出します。
生徒はようやく落ち着いた様子で、私の書く数式を目で追っています。

「次の英検、受けるわよね?」母親が息子にたずねます。
息子は母親の顔を見ずに答えます。「わかんない」
「わかんないとはどういうことよ。英検を持っていると受験に有利なのよ」(必ずしもそうとは限りません)
「どっちでもいい」と息子。
ちょっとイライラして「受けなさい。ママ申込みするからね。遊んでないで勉強しなさいよ」と発破をかけます。
息子はやはり母親を見ずに答えます。「わかったよ」


これら2つのやり取りはいずれも”共生関係”を表しています。
共生関係とは、2人以上のコミュニケーションにおいて、互いに使わない自我状態を相手が補完し合う関係のことです。

自我状態には「子ども」「成人」「親」の3つの状態がありますが、誰もが自分の中にそれら3つの状態を持っていて、何らかの刺激によって移行を繰り返します。
ところが共生関係においては、たとえば1人が「親」と「成人」を受け持ち、もう1人は「子ども」を受け持つというように、常に2人で3つの自我状態を”分担しあう”ことになります。

冒頭のやり取りでは、私が「親」と「成人」、生徒が「子ども」の自我状態で、2つめのやり取りは母親が「親」と「成人」、息子は「子ども」の自我状態にあります。

もし生徒に「成人」の自我状態があれば、「この問題はここはわかりますが、ここからがわかりません」などと自分の理解状況を説明できたはずです。彼は「成人」の能力を値引きして締め出し、「子ども」の状態をキープしてます。
私はというと、生徒の興味を引くような創造的なアイディアをもたらすかもしれない「子ども」を退け、「親」と「成人」の役割に徹しようとしてます。

実は、お互いに共生関係に入ることで心地よさを求めているのです。生徒は考える能力を値引きし、ぐずる子どもを演じて(視線を移動させる)、私を「親」あるいは「成人」に移行するように誘っています。私は、ちゃんと復習していない生徒に対してイライラする「子ども」の感情を捨て、施しをしてあげるという心地よさのために、生徒の誘いを受け入れたわけです。

母親と息子の場合も同様で、息子は自分で判断し決断する能力を値引きし、母親は自分や人を楽しませる「子ども」を値引きし、息子を思いのままに操る「親」の状態にいようとします。どちらも心地よさを感じるので、この関係はしばらく続きます。

札幌あおば学院
https://sapporo-aoba.com/


〒004-0843 北海道札幌市清田区清田3条2丁目1-1SDビル2F
TEL:011-839-1852