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幼児に経験した”あの”感情を今に引きずる

ストレス状況におちいったときなどに感じるいやな感情をラケット感情と呼ぶと、前回お話しました。そして、そのラケット感情は偶然に現れるのではなく、自分が”お膳立て”したものであるともいいました。つまり、自分自身がそのような感情を得るように、事態を導いたということです。
なぜそんなことをしてしまうのでしょう?それは脚本との関係から見ていく必要があります。

ほんの小さな子どものころ、近所のお友だちとお家で遊んでいたときのことです。同じような年齢の2人は仲よく遊んでいましたが、自分の大好きなおもちゃを友だちが返してくれません。むりやりひったくろうとしますが、逆に突き飛ばされてしまいました。大好きなおもちゃで遊べず、イライラしますが、次第に悲しくなってきて大泣きしてしまいます。
そのときお母さんはそれを見て、「あらあら、泣いちゃダメですよ。仲よくしなきゃ。あなたはいつでも遊べるんだから、○○ちゃんに貸してあげなさい。がまんするのよ」といって、家事に戻っていきました。もんもんとした思いが広がり、おしっこでももらしてやろうかと思いましたが、「がまんしなさい」という言葉が頭の中で響きます。
友だちがそのおもちゃを手放すまで待つことにしました。するとお母さんがまたやってきて、「いい子ね。がまんしたのね」と笑顔で頭をなでてくれたのです。
こんなことが、何回もくり返されるうちに、「ほしいものがあるときは、泣いたりわめいたりしてもダメなんだ。お母さんが僕を愛してくれるためには、いくらほしくてもがまんしなきゃ」と決断します。

これが人生脚本につながります。この子の場合、イライラ、もんもんとしたラケット感情が現れるときはいつでも、脚本を実行している(脚本の中にいる)ということができます。

大人になってからも、かなえたい要求があるときは、自分からアクションは起こさず、ただひたすら、もんもんと耐え続けるようになります。まるで、子ども時代とつながったゴムひもで、一気にそのころに引き戻されるかのように。
よく考えると、そんな子どものころに決断した、”時代遅れのおきて”など、何の意味もないことがわかるはずなのですが、お母さんのような自分を愛してくれる人から認めてもらう(ストロークを得る)ためにはこれしかないと、大人になっても「子ども」の自我状態で考えるのです。

あるとき、孤独感を感じ、誰かに手当てしてもらいたいなどと思ったとき、そのときのことがよみがえり、あえて簡単に手に入らないものをほしがり、もんもんとした感情を持とうとするのです。これが”お膳立て”です。

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