人生のシナリオには勝者と敗者、平凡がある
赤ちゃんのころに自分の人生脚本を作り始めたといわれても、そんな脚本は私にはないよと思う人がいるかもしれません。毎日生きていく中で、そのとき、その場で、すべてのことを自分で判断しているのだから、脚本どおりに人生が進んでいるなんて到底思えない。そう考えるかもしれません。
しかし、その感覚、その考え自体が脚本に入り込んでいる証拠なのです。脚本どおりに進んでいるときは、脚本の存在に気がつきません。無意識の中にすり込まれているからです。一つひとつの判断は脚本の筋書きに沿って行われています。
自分の脚本に気づくことにどのような意味があるのかを考える前に、脚本の”コンテンツ”について見ていきましょう。
脚本には、「何を(コンテンツ)、どうするのか(プロセス)」が含まれます。プロセスの部分にはあまりバリエーションはありませんが、コンテンツは人それぞれです。しかし、それらは大きく3つに分類できます。それは、”勝者”、”敗者”、”勝てない者(平凡)”です。
一般的な意味と別に、ここでの勝者とは、「自分が公言した目的を達成する者」であり、かつ快適さと幸福感を伴う場合です。
たとえば、子どものころに「ぼくは社長になる」と決め、たとえ小さくても会社の社長になっているとしたら、それは勝者です。「お嫁さんになる」と決めて、幸せな家庭を築いているとすれば、彼女は勝者です。また、「おれは誰からも制限を受けず、1人きりで生きていく」と決めて、山奥か離れ小島でたった1人で生活をしているとすれば、彼もまた勝者なのです。
敗者はその逆で、「公言した目的を達成しなかった者」です。社長になると決めたのに、定年まで平社員のままでいたとしたら、それは敗者といえます。
勝者は快適さと幸福感を伴うことが条件になるので、たとえば社長にはなったけれど、ストレスで健康を害し、さらに会社で不正を働いて告訴されたとしたら、彼は敗者です。隠とん生活をすることに決め、そのように暮らしているときに、恋人や友だちがいないことを嘆いたり、裕福な生活にあこがれていたとしたら、敗者なのです。
勝てない者は平凡とも呼ばれますが、”どっちつかず”の人生を送っている人です。こつこつと働き、リスクを負わないため大きな失敗はない代わりに、大きな成功もありません。組織では上司になる可能性は低いでしょう。定年まで無難に勤め、花束と退職金を受け取り、隠居の生活に入ります。そしてときどき、「オレだって機会に恵まれていたら、部長くらいにはなっていただろうね」などともらしたりします。
もしかすると、世の中の多くの人は自分は平凡だと思っているかもしれません。おそらくそれは、大きな財産や高い地位を持っているわけではないという意味だと思います。脚本での”平凡”は、自分の人生の目的は達成できなかったが、それほど悔やんではおらず、不快ではないと感じている人たちのことなのです。
そうすると、大半の人はたとえ小さい目標であっても、それを達成してきたのではないでしょうか。それは勝者です。