ゲームから抜け出したあとは

前回までゲームに気づき、ゲームから抜け出す方法をお話ししてきました。では、ゲームから抜け出すと何が起こるでしょうか?
なぜ、終わってみると後味の悪いゲームをしかけたり、入り込んでしまうのかというと、自分の人生脚本を進めて、その最後に待っている結末(報酬といいます)に導くためです。脚本には「自分はこういうふうに生きる」と”書かれて”いるので、それに従わないことによる不幸を恐れます。
また、自分の思い描いたように生きるには、周りの人たちからストローク(刺激による存在認知)をもらえるように振る舞うことが必要になります。ゲームをすることで、ストロークを期待するのです。
「大人」の自我状態でゲームに気づき、ゲームを抜け出すことができても、「子ども」はゲームをやめることで期待していたストロークがもらえなくなる心配を抱えてしまいます。
そうなると多くの場合、強い「子ども」の欲求が勝り、ゲームを続けるか、あるいは別の類似したゲームを探そうとします。
ストロークの欠乏状態(ストローク飢餓)は、死の恐怖へとつながっています。したがって、ゲームから脱出するには、ゲームで得られる以外のストロークを探さなければなりません。しかし、それらのストロークはゲームのものに比べると弱く、量的にも小さいものかもしれません。それでも、ポジティブな交流を心がけ、一つでも多くの”質の良い”ストロークを集める努力が必要なのです。
ゲームから離れることで、相手との本当の「親密さ」を得ることができるようになります。
コミュニケーションはいたるところにあります。パートナー、子ども、親、同僚、地域の人々…。どんな相手とゲームをするか、あるいはゲームをしない関係はあるのかといったことは特定できません。コミュニケーションと心の働きに関する知識を得て、必要なときには気づくことができる”能力”を持つことは、幸福に生きるための一つの手段ではないでしょうか。
1年3か月に渡り、交流分析をもとにしたコミュニケーションと心の動きについてお話ししてきましたが、今回で一旦終了とします。また機会を見つけて、交流分析に関するお話ができたらと思っています。

