現実に対する知覚フィルターの影響とは

前回お話したのは、人は同じものを見たとしても反応のしかたは人それぞれで、それは現実についての知覚のフィルターのようなものということでした。交流分析ではそのフィルターを「準拠枠」といいます。
現実をまともに受け入れていないということでは、「値引き」も同じです。値引きはとは、問題解決のための情報、思考や行動、能力などをないものとして無視することです。無視をするといっても、つど意識的ではなく、無意識で、むしろ自動的、反射的にしています。よって、値引きをしていることを本人は気づいていないことが多いものです。
知覚のフィルターである準拠枠は、値引きを含んでいる場合と、含んでいない場合があります。値引きを含んでいる場合は、その準拠枠が作動するとき、人生脚本に入っていくことになります。つまり、現実の重要な部分のいくつかを無視し、子どものころに親から受け取った古くさい、時代遅れの”教え”にしたがい、自ら作った「私はこうであるべき」という脚本を演じるのです。
ところで、どうして脚本を後生大事にして捨てられないのかというと、乳幼児のころ、まだ何も知らない世界で生き残るための”最適な方法”を思いつき、大人になってもなお、生きるためにはそれが必要だという思い込みにしがみついているからです。
準拠枠を使って現実を無視するだけにとどまらず、自分の脚本にうまくフィットするように、現実を歪めてしまう場合があります。これを「再定義」と呼びます。
幼児のころはいろんな失敗をします。テーブルの上の飲み物をこぼしたり、ドアを開けようとしてドアにおでこをぶつけたり、覚えたてのひらがなを間違って読んだり。
そんなとき両親は、「うちのおバカさんったら」と笑顔と愛情をもって接するかもしれません。そういうことが続くと、「おバカさんでいればパパやママが私をかわいがってくれる」と思い込むようになります。これが脚本の始まりです。
大きくなって学校に通うようになり、大事なテストの日が来ました。テストの最中、難解な問題をきっかけに値引きを含む準拠枠をもって自分の能力を過小評価してしまいます。「できなくても大丈夫」と、”おバカさん”の脚本を再生しはじめます。テストの結果は惨たんたるものでしたが、まったく歯が立たないという問題は意外と少なかったことにあとで気づきます。自分には問題を解く能力があるという現実を歪めてしまったわけです。
テスト中に脚本を抜け出せなかったのは、テストで悪い成績を取るより、脚本に逆らうことのほうが恐ろしかったからです。