感じかたに違いがあるのはなぜ?

人は同じものを見たとしても、その感じ方はそれぞれです。木々に囲まれた静かな湖の写真を見て、ある人はのどかな景色と感じたとしても、別の人はさびしい風景と感じるかもしれません。なぜ、そのような違いが出てくるのでしょうか。
風景であっても、人とのコミュニケーションであっても、ある状況をどのように見て、どのように聞き、どのように感じて、どうリアクション(反応)するかは人によって異なります。それは、それぞれが”知覚のフィルター”を通して現実を体験していると言うことができます。しかもフィルターは1種類ではなく、知覚対象に応じて無数にあると考えます。例を見てみます。
「この問題を説明してきたけど、ここまでの式はわかった?」
「わかりました」
この「わかりました」は個人によって異なるのです。ある生徒は、説明された内容が論理的につながり、明確に理解でき、すっきりした気分かもしれません。しかしある生徒は、これまでほとんど理解できていなかったけれど、それに比べるとやや理解ができたような気がすると感じているかもしれません。「では、もしここがこうだったらどうなる?」という追加質問に対して、後者の生徒は答えられない可能性があります。
この”フィルター”は心の状態(自我状態)と密接に関係があります。どの自我状態で風景を見ているか、先生の質問を聞いているかによって反応が違うのです。前者の生徒は「成人」の自我状態で自分の理解の程度を判断できています(メタ認知)が、後者の生徒は「養育的親」の状態に入っていて、「がんばってやってきたんだし、このくらいわかっていればいいか」と思っているかもしれません。あるいは「早く勉強を終えて遊びたいから、わかったって言っておこう」と「子ども」の自我状態で反応してたかもしれません。
とはいえ、こういった”フィルター”を形成する上で重要な役割を果たしているのは「親」の自我状態です。「親」の自我状態は、実際の親あるいはそれに準ずる人によって与えられたメッセージによって、ものごとの良い、悪い、正しい、誤り、簡単、難しい、きれい、汚い、公平、不公平などについて伝えられ、大切に保管しています。これらがベースとなり、各自の”フィルター”が作られ、それにしたがって反応しているのです。