ドライバー・メッセージによる決断

幼少期に親によって”しつけられた”ドライバー行動、すなわちドライバー(親の言い付け)による行動は、性格判断のように、単に行動の特性だけを分類して終わり、ではありません。ドライバー行動に入るとき、瞬間的にプロセス脚本(人生脚本を実践する行動)に移行することが多く、脚本に入るにはある種の決断が作用します。
「完全であれ」のドライバーは次のような決断をさせます。
― 何ごともちゃんとやるときだけ、私はOK(価値がある)である。だから、何かをし終わるまで、細かいことも全部やらないといけない。
「強くあれ」ドライバーは以下の決断をさせます。
― 私は感情や欲求を持たないときだけ、OKである。感情や欲求は弱者のものだから。
「一生懸命努力せよ」ドライバーは以下です。
― 一生懸命努力し続けているときだけ、私はOKである。達成してしまったらもう努力することができないので、達成しないようにしないといけない。
「他人を喜ばせろ」のドライバーは次の決断をさせます。
― 私は人を喜ばせるときだけ、OKである。しかし、それはいつも長続きはしない。
「急げ」ドライバーは以下の通りですが、このドライバーだけは特殊です。脚本には直接関係がなく、他のドライバーを強化する働きをします。つまり、「急げ」ドライバーのみ保持していることは稀なのです。
― 急ぐときだけ、私はOKである。
問題はこれらのドライバーがポジティブに働いているときはいいのですが、ドライバーの言うとおりにできない場合、一気にネガティブな脚本に入って行きます。たとえば、「○○できないのだから、私はOKではない。私には価値などないのだ」と決め込み、脚本で決めた厳しい結末へと突き進んでいきます。
自分、あるいは相手がそういう状態にあることを気づけるかどうかが大切になります。