繰り返される、あのいつもの会話
前回、あと味悪い会話のお話をしましたが、それは自分と相手の自我状態(心の状態)の間のメッセージが交差してたり、会話の裏に秘密のメッセージのやり取りがある場合でした。
それに気づくことができるのは、物事を冷静に見て、適切な判断ができる”成人”の自我状態である必要があります。否定的なメッセージの応酬になっている間はそれに気づきません。「あ、これはマズいな」と不毛な会話に気づき、自ら”成人”の状態に入ることを決めるのです。
そういったやり取りの抜け方にはいくつか方法がありますが、まずは冷静に、状況を俯瞰することから始めます。
あと味の悪い会話は誰にでも経験があるはずです。相手に対して怒りや軽蔑、イライラした気持ちを持ったり、自分に対しても後悔や罪悪感、落ち込みを感じます。そして、ことあるたびに同じようなパターンを繰り返してはいないでしょうか?
これを交流分析では”ゲーム”と呼んでいます。
これまで発見されたゲームは実にたくさんの種類があり、人にはそれぞれお気に入りのゲームがあります。つまり、よくやってしまうパターンです。
1つ例を見ていきましょう。お母さんと息子の会話です。
子:算数がよく分かんない。
母:まあ、それは困ったわね。お母さん、手伝おうか?
子:うん、でもいいよ。
母:こんど、本屋さんに参考書を見に行かない?
子:そうだね。でも参考書見ても分かるかどうか…。
母:そんなときはお母さんに聞きなさい。教えてあげるから。
子:ありがと。でもお母さん、仕事で忙しいし。
母:大丈夫よ。仕事から帰ってきたら一緒に勉強しよう。
子:うん。でも時間が遅くなると眠たくなっちゃうよ。
母:なるべく早く帰ってくるわ。休みの日なら大丈夫よ。
子:学校の宿題もたくさんあるし、できるかどうか、わかんないよ。
母:う~ん、そうか…
子:もういいよ。自分で何とかする。
子どもは「どうせ、お母さんはボクを助けられないよ」と心の中でつぶやきます。一方、お母さんはいろいろ提案したのだけれど、どれも受け入れてくれなくて、当惑し無力感を感じてしまいました。
実は2人とも、この結果を密かに期待していたのです。
ゲームには3つの役割があって、それらは”迫害者”、”救助者”、”犠牲者”です。ゲームの最中にこれらの役割が移行します。お母さんは最初、息子の”援助者”になろうとして、最後は”犠牲者”になりました。息子は”犠牲者”から、最後は”迫害者”に移ってます。これは相手によって役割を変えられたというより、自ら進んでその役割を買って出ているのです。
なぜ、辛い役割を選択するかは、その人の人生の信念によります。このお母さんは、”犠牲者”という役割が自分の生き方の信念(それは思い込みでもありますが)に合致しているのです。「私は何をやってもダメなの」などと。
お母さんがこの堂々巡りにピリオドを打つためには、”成人”の自我状態を使って、提案をしたい欲求を押さえて、「あなたはどうしたいの?」と子どもにボールを預けるとよいでしょう。子どもの挑発に乗らずに、冷静にこの状況を客観的に見て、何が起きているかを把握することが大事です。