依存関係の源泉は子ども時代にあり

前回のブログでお話した「共生関係」には、”健康な”共生関係と”不健康な”共生関係があります。
健康な共生関係の例は母親と乳幼児です。赤ちゃんの自我状態は全部「子ども」です。問題を解決したり、自分自身を守るという「親」や「成人」の自我状態はまだ持ってません。したがって、それらを値引きすることはできません。
それに対して、母親は当然ながら「親」と「成人」の自我状態を持って育児をします。母親は自分の「子ども」の自我状態を値引きしているかといえば、そんなことはなく、赤ちゃんと一緒に遊んだり、いろんなアイディアや発見を生かして子育てをするでしょう。また、適度な気分転換の方法も見つけるかもしれません。
看護師と患者、お年寄りと介護ヘルパーの間にも同様の関係が見られます。
つまり、健康な共生関係と不健康な共生関係との違いは値引きをするかどうかなのです。前回ご紹介した母子についていえば、息子は英検を受けるべきかの判断を自分自身でできるのにしていません。「親」や「成人」の判断力を値引きしているのです。一方、母親は息子にたずねてはいるが、判断をさせていません。息子の自由を制限しているのです。これは母親自身の「子ども」を値引きしていることになります。
どうしてこのような不健康な共生関係ができるかというと、子ども時代に親に対して満たされなかった要求があり、それがずっと尾を引いていて、今になってもなお、自分の親と同じような関係をもう一度作り上げ、親の代わりにその相手に自分の要求を満たしてもらおうとするからなのです。
では、共生関係の中で「親」や「成人」を受け持つ人はどうかというと、子ども時代に自分の親に対しての不満が原因となります。「もう、お母さんをこれ以上困らせないで!」とか、「どうしてそうオレを怒らせるんだ」のように、親の感情に対して責任を取らせるようなことをいわれ続けていると、「自分の役割は親の世話をすることだ」と決心するようになります。つまり自分が”親”になると決めるのです。そうして、大人になって共生関係の中で人を支配したり、”親”としての感謝を得ようとするようになるのです。
親から虐待を受け続けた子どもは、「私はOK。あなたはOKではない」という考え(人生の立場)を持ち、自分の「親」から実際の両親を見下したり、あるいは見下すことを想像したりするようになります。そしてこの子は大人になって共生関係の中で、自分でも気づかないうちに、自分を虐待した親への”復習”として、同じことを繰り返します。
日常の子育ての中で、感情的に怒鳴ってしまうことはあり、やむを得ないとも思います。しかし、それが継続的、慢性的に続くことで、子どもの生き方を決めるパーソナリティに影響を与えることもあるのです。