ポジティブとネガティブな刺激のバランス

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ポジティブとネガティブな刺激のバランス

親子であっても、他人であっても、コミュニケーションはお互いに意志を伝えあう行為です。コミュニケーションには、言葉で伝える言語的刺激と、表情やしぐさ・行動によって伝える非言語的刺激がありますが、両方同時に使われることが多いようです。電話やメール・手紙では、意図したことが伝えきれなかったという経験があるかと思いますが、非言語的刺激はそれを補うことができます。
しかし、ときには言葉と態度がうらはらなケースがあります。たとえば、「こんにちは」とあいさつされるときに、目を合わせず、低い声でつっけんどんな口調でいわれたらどう思いますか?自分の存在は認めてくれてはいますが、不要なものとして扱われている気分になりませんか?ですので、気持ちのよいあいさつをしたいのなら、相手の顔をちゃんと見て、はっきりとした声でいわなければなりません。

 

人は一般的に自分の存在や価値を認めてくれて、気づかってくれたり、ねぎらってくれたり、励ましてくれたり、感謝してくれたりと、ポジティブな刺激をほしがると思われています。しかしそれは絶対ではありません。みんながみんな、ポジティブな刺激をほしがるとは限らないのです。
幼少期から両親によって、ポジティブな言葉や態度を制限される場合があります。理由はさまざまで、両親の感情の変化であったり、調子に乗りすぎないようにと”しつけ”の一環だったりします。そのような子は、他人からのポジティブな刺激を期待しませんし、自分からも他人に対してポジティブな刺激を発しづらくなります。「どこか気難しい子」というのは、この傾向がある可能性があります。

 

日本人には謙譲の文化があります。控えめであることが美徳であり、必要以上によろこんではしゃいだり、大げさなほどに相手をよろこばすといった行動はつつしむ傾向があります。このことは、相手に対して100%のポジティブは刺激を与えない、相手からもそれを期待しない(遠慮する)という意識につながります。
たとえば、テストで10問中9問正解しても、たった1問だけ間違えたそのことを厳しく非難するケースがあります。もともと日本社会には、たった一度の失敗であってもそれを許さない、次のチャンスを与えないという傾向があるような気がします。時間的、空間的視野が狭いのでしょうか。
また、「あなたはすばらしい才能がありますね」などといわれたとき、「いえ、わたしなんかそのようなことはありません」などと否定しますよね。もし「はい、わたしもそう思っています」などといったら、「なんて図々しい人」と思われるかもしれません。100%は受け取らないのです。

 

しかし、叱るときはしっかり叱るので、ポジティブな刺激よりネガティブな刺激のほうが多くなっていきます。わたしたちはもう少しポジティブな刺激を与えたり、受け取るようにしなければならないと思います。
自分が弱気になっているときは、自分自身に対してポジティブな刺激を与えたいものです。自分に与えられないものは、他人にも与えられません。鏡に映った自分を見て、「あなたはがんばっているよ。ちょっと失敗したからって、それがなんだというんだ?もうその失敗はしないよね?うまくいく確率が上がったんだよ」などと自分に話しかけてみては。鏡の中の自分は微笑み返してくれるでしょう。

 

「○○ちゃんはいい子ね」「よくできたわね」といったポジティブな刺激だけを与え続けるとどうなるでしょう。大昔に行われた心理学実験で、幼児に対してポジティブな言葉、態度だけを与え続けた場合、その後、数々の問題を引き起こしたという報告があります。ポジティブな刺激は十分に必要ではありますが、ネガティブな条件付きの刺激、たとえば「悪いことはしたらダメ」「約束を破るな」といった、言動に対する否定を与えることで、他人と調和して生活できるすべを学ぶことができるのです。幸い、ほとんどの両親はそれらのバランスをとりながら子どもを育てているようです。
ネガティブな言葉が多くなっていたなと思ったら、子どもの良いところを探して、ポジティブな刺激を与えましょう。しかし、叱るときにはしっかり叱ることも必要です。

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