悪い点数という”事実”

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悪い点数という”事実”

「こんな点数じゃ、志望校変えないと」

模試の結果にがっかりして、志望校のランクを落とすことを考えている生徒がいます。
テストの点数というのは、定量的で、公平な測定値です。合格の可否を判断する偏差値は、数年の受験結果から算出されるものであり、テストの難易度に関係なく、受験者の得点を高い順に並べたとき、自分の”位置”を示しているものです。つまり、全受験者の中でこの辺の位置にいれば、この学校には合格できそうだと評価できます。そして、これがだいたい当たります。例年の合格最低点の偏差値を下回っている場合は、かなりの確率で涙を飲むことになります。

 

さて、自分の取った点数というものは”事実”です。点数自体は数字で、数字には大小を表す以上の意味はありません。点数を見て、それが良いか悪いかなどと判断しているのは人です。

 

人はある体験をするときに、そのとき自分が感じたり、考えたりしたことを言葉で表すことを無意識にしているそうです。その感じ方や考え方はそれまでの経験に影響されます。ですから、同じことを体験しても、人によって感じ方が違うのはこのためです。
同じ経験がなくても、似たような経験を持ち出して、その過去の出来事での感じ方や考え方をベースに、現在の体験を受け留めます。
過去の経験は言葉によって記憶されています。過去の出来事を思い出すとき、必ず言葉を伴うでしょう?「悲しい」「悔しい」「うれしい」「腹立たしい」などの感情を表す言葉とともに、その出来事自体を表すのも言葉を使います。「良い点数を取った」「悪い点数を取った」。この「良い」「悪い」というのは、言葉によって意味づけされたものです。

 

実はここに落とし穴があるのです。
この「良い」「悪い」というのは極めてあいまいな程度を表す表現で、何と比べて、どのくらい違うのか、それがどんな価値を持っているのかがすべて省略されています。また、「良い」「悪い」と感じる瞬間は、過去の基準を引き合いに出していますが、それ以外の要素はすべて排除されているのです。つまり、「悪い」と思ったら、その中に含まれているかもしれない「良い」事がらを無意識に無視しています。

 

人がある体験をするとき(テストの点数を見るなど)、最初の一瞬は目などの感覚器が感じただけではありますが、そこには形や色、その場の気温や湿度、明るさ、物音や声、触覚など、膨大なデータがあります。それらの中から自分の価値に合ったものだけを選んで、それを言語化して、さらに記憶に入れています。これが信念や観念と呼ばれるものです。
したがって、「点数が良い」「点数が悪い」というのはすべての事実を表しているものではなく、人の信念や観念のフィルターを通ってきたものなのです。そこには、フィルターによって取り除かれたたくさんの価値ある”事実”もあるに違いありません。

 

点数の数字が小さいということは、当たり前ですが不正解が多いということ。不正解になった問題は、自分がまだ習得しきれていない内容です。それらを習得することで、点数の数字は大きくなるでしょう。そのことに気づくかどうかが、これからの行動とその結果を決定するといっても間違いではないでしょう。

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