帰宅部は積極性がない?
人は現実をありのまま捉えているとは限りません。ある状況を経験するプロセスでは、その状況が持つすべて情報を捉えて記憶することは不可能です。そうすると、人は自分にとって”役に立つ”情報だけを受け取ろうとします。あたかもフィルターをかけるように、”不必要と思う”情報は無意識のうちにカットしてしまうのです。
たとえば、道路の段差で転んだとします。そんな経験は誰にもあると思います。その転んだ時の状況をどのくらい覚えていますか?
転んだ正確な場所、つまずいたものの大きさや形状、つまずいた時の時刻・天気・気温、どちらの足でつまずいたか、その時の服装、周りに何があったか、誰がいたか、どんな音が聞こえていたか、何を見ながら歩いていたか、何を考えていたか、…。その状況を写真に撮るとしたら、何枚も何十枚も取らなければいけませんし、録音装置も必要です。そんな膨大な情報を一瞬にして記憶などできるはずがありません。それらの情報のいくつかは、転んだことと関係がないと思っているかもしれませんが、それはあなたがそう思っているだけということもあります。
いつも通る道で、今までに転んだことなどないのに、その時は転んでしまった。「道路にあんなでっぱりなんかなければ」、あるいは、「考えごとをしていたから」、または「履きなれない靴をはいていたから」などと理由付けをしたくなります。他にも原因はあるかもしれませんが、”そのこと”だけを取り上げて転んだ理由として記憶します。”そのこと”は事実ではありますが、すべてではありません。たくさんある事実の中から一つだけ取り上げて、それが事実であると主張するのは正しくはないのです。
ということは、現実をありのまま捉えているわけではなく、事実の一部をすべてとして記憶しているのです。もはや現実とは言えず、現実をねじ曲げているとも言えます。
「英語が苦手です。」
このように言う生徒やお母さんは多いです。その時、「誰がそう判断してますか?」と聞くことにしています。ほとんどの場合、本人やお母さんがそう考えています。さらに聞くと、テストでは毎回良くない点数を取るということです。それでは「普段、そしてテスト前に何時間くらい勉強してますか?」と聞くと、普段は宿題のみ、テスト前だけせいぜい2~3時間だそうです。目標にする点数にもよりますが、その程度の勉強でテストがうまくできれば誰も苦労はしませんし、多くの生徒が「英語が苦手」ということになってしまいます。そして気づきます。
「勉強不足だったんですね。」
「あの子は”帰宅部”だから積極性がない。」
そのように言う生徒もいます。困ったことに、学校の先生の中にもそのようなことを言う方もいるようです。部活に入らないということと、積極性がないということは無関係で、次元の違うことです。「どのようして部活をしないことが、積極性がないことを意味することになるですか?」と質問すると、細かい例を探そうとしますが、大局的に見ればそのような関係はないということに気がつきます。学校から帰ってから進学塾に行って猛勉強しているかもしれません。地域のクラブチームでサッカーの練習に励んでいるかもしれません。ボランティアとして、高齢者施設でお手伝いをしているかもしれません。
やはり現実をねじ曲げて、それを言葉にしていたのです。
これらのように考えてしまうのは、ある種の思い込みによるものです。あなた自身の人生や社会生活に役に立たない思い込みは改めるべきです。そのきっかけになるのは、シンプルな一つの質問です。