ゆがんだ思い込み
カーペンターズの「雨の日と月曜日は(Rainy Days And Mondays)」という曲に、「雨の日と月曜日はいつも落ち込む」というくだりがあります。私も晴れた日のほうが好きですし、月曜日はブルー・マンデーとか、OGIM(Oh god, it’s Monday)などと、気分があがらないという人は少なくないと思います。しかし、それはもしかすると単なる思い込みかもしれません。
私はビンゴが弱いです。ビンゴで当たったという記憶がありません。「持ってないんだぁ」とがっかりするのですが、それは本当でしょうか?
「この子ったら、私がイライラすることばかりするんです」というお母さんがいます。思い通りにしてくれなくて、いつもイライラしてしまうようです。でも本当に、お母さんがイライラすることだけを狙って行動しているのでしょうか?
また、「私は子育てには向いていないのかも」という人もいます。うまくいかないと思うことが多々あったのでしょう。とはいえ、本当に子育てに向いていないといえるでしょうか?
人は多くの思い込みを抱えながら生活しています。思い込みというのは、真実ではない、想像の産物です。それらは類似の経験の繰り返し、あるいは強烈な印象と伴う経験から生まれます。それらの経験から、同等の出来事が自分に対して利益をもたらすもの、逆に損失を与えるものと認識するようになります。そう考えたほうが楽に生きられるからです。
しかし、もともと真実ではないので、”大外れ”することもあります。それによって、嫌な思いをしたり、意欲をなくしてしまうとしたら、もったいないことですよね。
思い込みは自分ではそうだと、なかなか気づかないものです。これがさらに強くなると信念に変わります。そうなると、一生ものです。あきらかに困っている、悩んでいるという人がいたら、助けてあげたいですよね。
そのような人に声をかけるとき、「それって、思い込みだよ」という言葉は逆効果です。言われた本人は自分を否定された気分になります。「私のことなんて分かってくれない」と感じます。
そこで、アドバイスより問いかけ・質問です。
「どのようにして、雨の日や月曜日はあなたを落ち込ませるの?」
「どのようにして、ビンゴが外れたことが、ツイてないということになるの?」
「どのようにして、お子さんはお母さんのイライラすることがわかるのですか?」
「誰があなたは子育てに向いていないと言ったのですか?」
質問をされると、以前にあったいくつかの経験の記憶をたどります。あらためてそれらを頭の中で整理、構造化、組織化する、つまりまとめようとするのです。そのプロセスの中で、「あれ?」と気づくことが必ずあるはずです。一つでも思い込みと異なるものが見つかったなら、思い込みの崩壊の始まりです。
人は自分の中に”答え”をすでに持っているのです。それに気づいていない、気づけないでいるだけなのです。それをちょっとした問いかけ・質問で手助けをしてあげられたら、すばらしいことではありませんか。