教えるということ

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新年度が始まって1カ月が過ぎましたね。学校や職場、いろいろな場所に新人さんが入って、今まだ真剣に新しいことを学び、覚えようとしていることでしょう。そしてそこには、その新人さんに向き合い、一生懸命に何かを教えようとしている人たちがいます。勉強にしても、仕事にしても、何とかしっかり覚えてもらって、それらを活かしてもらいたい。その想いは強く、熱いです。

 

「教える」ということ。
辞書を引くと、「知識・学問・技能などを相手に身につけさせるよう導く」とあります。「導く」とは「道を知っている者が知らない者に方向を示し、そこへ進むことを促すこと」ですね。

「教える」というイメージは、教える側の持っている知識や技術を、それらをまだ持っていない人たちに伝えることだと思っている人は多くないでしょうか。そこには師弟関係があって、情報を一方的に上から下に授けるというイメージがありませんか。

受け取る相手がどのように考えていようと、ただ知識を受け渡すという姿勢では、受け取る側も全部受け取ってくれるかどうか怪しいものです。少なくとも受け取る意思がなければ、受け取ったものを活かすことはできません。
受け取る側が
①知識や技術の必要性を感じ、
②それを習得したいと思い、
③習得する準備をする
のでなければ、知識はただ雨のように降り注ぐだけで、ほとんどは流れ去ってしまうでしょう。

それは受け取る側の責任でしょうか。それだけはありません。教える側の責任も大きいのです。受け取る側が、受け取る態勢を取れるように手伝うことこそ「導く」ことであって、その上で初めて伝えられるのです。
受け取る側(学ぶ側)が受け取りたい(学びたい)と思えるように、受け渡す側(教える側)が最大限の努力をしなければいけません。教える、教わることもコミュニケーション。受け取る側がどのような反応を返すかによって、その価値が決まります。

 

私にとって「教える」とは、学びを手伝うことだと思っています。主体はあくまでも学ぶ側です。今何を学ぶべきか、どのように学んだら良いかについて気づきを与え、自らの意志で学習するのをサポートすることこそが私の役目です。常にそれを頭に入れ、生徒と関わっていこうと思います。
アルベルト・アインシュタインは以下の言葉を残しています。

「教えるということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく、貴重な贈り物だと感じられるようなことであるべきです。」

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